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子游

 

 

言偃 字/子游

げんえん  しゆう

 

 

子より46歳若い[『史記』]とも36歳若い[『家語』]とも※1

呉の出身[『史記』]とも魯の出身[『家語』]とも※2

 

※1 前者を取るとあまりにも若いころから孔子に仕えていたことになりますから、36歳若いというのが正しいのかもしれません。

※2 唐代、呉群に彼の家があったといいますから[『史記索隠』]、おそらく呉の出身というのが正しいでしょう。魯に仕えたことがあるので、それで誤解されたのかもしれません。
 

 

 子游は公明正大で、正しいことを好む人でした。

 真摯に物事に向き合い、その真面目さに孔子が冗談を言う場面もあります。※3

 視野が広く、細かいことを気にするよりは、本質を掴むことを大事にしている風であり、おおらかな印象を受けます。同じ文学に優れるとされた子夏とは真逆のタイプだったようです。

 この箇所からは、何度もしつこくとがめることはしない寛大で朗らかな子游像も読み取れますし、逆に情が厚いからこそのお節介で痛い目を見た子游像も想像されます。
 また、孔子が子游に愚痴のように語りかけているのを見ると、「えぇ、えぇ。そうですねぇ」と穏やかにそれを聞く子游が想像されるようです。

 年代の近い子夏や子張とは関わりが深く、それぞれ性格が全く異なりました。

 

※3 この箇所は様々な解釈がありますので、別にページを作成いたします。

 

 

 

 武城(魯の君主の直轄地)の宰をし、音楽でもって徳のある統治をしました。

 

画像は肛門十哲さまより許可を頂きお借りしています。

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